日本人のためのプレゼン講座 -Presentation Educataion for All Japanese-

筆者が米国大学留学、外資系企業勤務、起業して会社経営を経て学んできたプレゼンテーション上達や練習法のノウハウを配信しています。

人の想いを伝える手段に「プレゼン>動画」の優位性は変わらない

f:id:tkurosak:20151128091335j:plain個人のアイデアや価値観を発信する力が重要度を増す現代、いまやインターネットで誰でも簡単に自分の想いを配信することができるようになりました。動画は視覚、聴覚で沢山の情報を伝えるメディアであり、あたかも「動画は万能」のように思われています。

 

しかし、私は人の想いを伝える手段として動画は依然としてプレゼンに遠く及ばないと考えます。ネット動画配信全盛期の現代ではプレゼンで想いを伝えることの重要性は以前にも増していると考えています。

 

実は私はベートーヴェンが好きで時々クラシック鑑賞にいきます。会場に行く気付かされること、それは音楽は奏者と聴衆と会場全体で作られているということです。実際にコンサート会場に足を運ぶのと、自宅の快適な環境で高画質のコンサート動画を鑑賞するのでは得られる満足感に雲泥の差があります。そしてその差はこの先いくら動画技術が進歩しても決して超えることは出来ません。クラシックのコンサートはピアノやバイオリンを弾く演奏者たちだけではなく、会場にきて音楽に耳を傾けている聴衆の存在を抜きにその素晴らしさの真髄を語ることは出来ないのです。

 

感情は熱です。あなたもご存知の通り熱は伝わる性質を持ちます。音楽の盛り上がりに呼応するように観客の感情も昂ぶっていきます。それは小さな小石を池に放り込んでさざなみを作るように全体に広がっていくように。そしてクライマックスを迎え、緊張と興奮が最高潮に達し、終わりを迎えて会場に響き渡る「ブラヴォー!」という歓声と拍手に私は感動の涙を堪えるのに苦労することが多々あります。奏者と聴衆が一体になる時、その場にいるものにしか決して得られない大きな感動の渦が存在するのです。

 

これはプレゼンでもまったく同じです。どれだけ高画質で動画収録した映像とクリアな音声を自宅で鑑賞しても、感情の伝達や聴衆との一体感は決して得られません。

 

なぜリスナーはわざわざ時間とお金を使ってプレゼンを聞きに行く理由、それこそがプレゼンが一番人の想いが伝わるという何よりの証拠ではないでしょうか。